ブラウン運動

2014.9.18

理系の読者なら誰でも一度は聞いたことがあるブラウン運動だが、その奥深い意味についてはどの程度、知っているだろうか?ブラウン運動の研究には3人の科学者が登場する。ブラウン運動を発見したロバート・ブラウン、それを理論的に説明したアルバート・アインシュタイン、そして、その理論を実験的に証明したジャン・ペランだ。

良く知られているように、ブラウン運動はイギリスの植物学者であったロバート・ブラウンが水に浮かべた花粉が勝手に動き回る現象を観測したことに由来する。1827年、ブラウンは花粉を水に浮かべると浸透圧で花粉の殻が破れ、中から無数の微粒子が飛びだし、それらがあたかも生きている微生物のごとき動き回ることを発見した。花粉の大きさは数10ミクロン(杉花粉の大きさは30〜40ミクロン)だから、当時の光学顕微鏡でも観察できた。ブラウンが興味をもったのは、外から何も力が働いていなくても微粒子は勝手に、しかもランダムに動き回っていたことである。生き物である植物由来の花粉が自ら動くということで、彼は最初、この運動を生物の活動だと考えた。しかし、その後、生き物とは関係ない岩石や金属の微粒子も同様な運動をすること、さらに水以外の液体でも微粒子のランダムな運動が起こることを知るにつけ、この運動が普遍的なものであると確信した。このブラウンの研究は大いに反響をうみ、この運動の普遍性を確立したブラウンの名をとって「ブラウン運動」と名付けられた。
 それから約80年後の1905年にアルバート・アインシュタインは、「静止液体中に懸濁した微粒子の熱の分子運動論から要求される運動について」という論文を発表した。ブラウンの実験に触発されたわけではなく、当時、劣勢に立たされていた原子論を擁護し、原子の存在を実証したかったからに他ならない。彼の理論の示すところは、分子論熱の分子運動論によれば液体中の浮遊物の運動は観測可能だということであった。この年、アインシュタインは、ブラウン運動の理論の他に、科学史に燦々と輝く大きな業績、特殊相対性理論と光電効果の理論、も合わせて発表した年であり、アインシュタインの奇跡の年といわれている。余談だが、彼の業績に因んで、2005年は「世界物理年」として世界中でさまざまな行事が執り行われた。それはともかく、この理論は、古代ギリシャ時代以来ずっと仮定され続けてきた原子の存在を立証したという点で、その歴史的重みは他の2つの理論と同等に比較されるべきものであろう。その理論の予言するところは、ブラウン運動する物体のx方向の平均二乗変位λxが以下の式で表されるというものであった。

ここで、tは時間、Rはガス定数、NAはアボガドロ数、Tは絶対温度、ηは媒質の粘度、rは物体の半径である。右辺に出てくる量はすべて測定可能であるか、または定数なので、これらを用いてブラウン運動の大きさ(速さ)を検証することができる。それを行ったのがペランであった。
 ジャン・ペランは1908年からブラウン運動に関する精密な実験を行い、アインシュタインのブラウン運動に関する理論を実証した。彼はコロイド溶液研究の専門家で、均一粒径のコロイド作成から始め、密度測定、体積測定、ブラウン粒子へのストークスの法則の適用性の検証など、あらゆる角度から実験を行い、ブラウン運動が分子の熱運動に由来するものであることを実証した。その結果、原子論を否定していたドイツの化学者で物理化学の創始者の一人であるヴィルヘルム・オストワルトさえも原子の存在を認めるようになった。1926年、ペランにノーベル物理学賞が授与されたことでも、この業績が如何に現代物理学に大きな足跡を残したかがうかがえる。現在では、ブラウン運動は微粒子の運動のみならず、あらゆる物体の熱揺らぎの議論の基本となるものであり、空気中のけむりの運動や電気回路における熱雑音、株価変動など、およそランダムな過程が全体の動向を支配している全ての事象に関係していることが広く知られている。
 我々は、光散乱実験により媒質中でブラウン運動をしている微粒子によって散乱された散乱光強度を観測している。その時間平均を測定するのが静的光散乱法であり、運動している微粒子からの散乱光の時間的揺らぎの測定から緩和時間や拡散係数を得ることを動的光散乱法という。ブラウンが顕微鏡下で花粉から出てきた微粒子の動きを通じて未知の分子の存在と動きを想起したように、我々はパソコン画面上に映し出される散乱光の揺らぎを観測することで微粒子のリズミカルなダンスとそれを黒子として演出する分子集団の熱運動にサイエンスロマンを馳せる。

参考文献:物理学One Point 27, ブラウン運動、米沢富美子著、共立出版、1986.、ほか