京都工芸繊維大学 学園だより 1996.1.20掲載

日本人とユダヤ人

繊維学部高分子学科 助教授 柴山充弘

この表題に懐かしさを覚える読者も多いだろう。そう、昭和46年に発表され、日本人の性格や行動を的確にとらえた評論として、ベストセラーになった本の名前である。今回、日本学術振興会特定国派遣研究者事業の援助を得てイスラエルに3週間滞在した。その時の見聞と感動を著者イザヤ=ペンダサンの言葉を借りつつ紹介したいと思う。
5月26日、ロシアでの1週間にわたる国際会議を終え、モスクワからの直行便でベングリオン国際空港(テルアビブ空港)に到着した。テルアビブというと岡本公三らの日本赤軍による乱射事件という忌まわしい記憶がよみがえる。カチャルスキーという著名科学者もこのとき凶弾により倒れている。最近、イスラエルは平和になったとはいえ、まだテロ活動が散発している。こうした中、イスラエル訪問は勇気のいることであった。
イスラエルでの私の仕事は、テクニオン(イスラエル工科大学)、バーイラン大学、およびワイツマン研究所においてそれぞれ高分子ゲルに関する講演を行うこと、およびテクニオン化学工学科での共同研究であった。テクニオンは理工系大学としてイスラエル随一の陣容を誇る大学である。3週間の滞在中の大半をここで過ごし、電子顕微鏡による凍結ゲルの直接観察や、ゲルの疎水性相互作用に関する熱測定などを行った。バーイラン大学では有名な理論物理学者であり、友人でもあるY.ラビン教授(イスラエル現首相と同姓同名!)に再会した。彼はホストとしても最高で、講演後に首都エルサレムでの野外オペラに招待してくれた。数千年の歴史をもつエルサレム旧市街に隣接する会場では、カルメンが真夜中まで上演された。青く澄み渡る砂漠の空に褐色の城壁とダビデの塔が浮かび上がり、それを三日月が煌々と照らすといった舞台背景のもとでの闘牛士の歌は一生忘れることのできない思い出となった。ワイツマン研究所は世界でも有数の研究機関である。巨大な太陽光集光装置を使ったエネルギー貯蔵の研究施設や加速器装置など、日本と同じく資源の乏しい国が生き延びていくための科学技術に賭けるイスラエルの意気込みを十分感じさせる研究所であった。
さて、日本人のイスラエル観あるいはユダヤ人観には多少の偏見や誤解がなくはないだろうか。西洋文明をキリスト教という味付けで輸入してきた日本人にとっては、ユダヤ人は悪役のイメージが強い。実際に見たイスラエル(その内の約70%がユダヤ人)では彼らがいかに敬虔で善良で平和主義者であり、また多くの犠牲を払いつつも自分の国を守ろうとしているかについて多くを学ぶことができた。ペンダサン氏によれば、日本は「安全と自由と水がただの国」だそうである。確かに、地下鉄サリン事件はあったものの日本はまだまだ安全である。イスラエルでは完全武装の兵士が町を歩き、戒厳令が敷かれたままのような国である。国のもっとも狭いところはわずか60kmの幅しかなく、西は地中海、東はヨルダン国境に接している。2000年以上も祖国を求めて流浪した民が最後にたどり着いた、四国にも満たない広さの「神の王国」である。500万人の人々が異教徒の脅威にも屈せず、高い防衛費を捻出し、自らも兵役に赴きながら暮らしている。徴兵制は男子3年、女子2年で、その後も男子は50歳まで短期の兵役義務がある。従って、安全代は日本人的感覚からいうとべらぼうに高い。
水も高い。訪問して初めて知ったが、イスラエルでは4月から10月頃まで雨は一滴も降らない。冬に北部を中心にまとまった雨が降るそうである。その雨を北東部のガリラヤ湖(海抜は-265m)に貯め、それを水源としている。この小さな湖一つで、イスラエル全土の飲料水、潅漑用水、工業用水をまかなっている。しかもガリラヤ湖東岸はヨルダン領、北方の水源地帯はあのゴラン高原ときている。この国家的給水事業のため、ガリラヤ湖からヨルダン川を経て死海に流れ込む水量が減り、死海は文字どおり”死海”として干上がりつつある。ご存じのように、死海は世界でもっとも低いところにある(-405m)から、高低差を利用して地中海から流れてくる海水を逆浸透膜法(高分子の膜が使われている!)により脱塩すれば、水確保と製塩という一挙両得の国家プロジェクトになること請け合いであろう。今こそ日本は援助の手をさしのべる時ではないか。
もう一つ、ペンダサン氏から学んだ我々日本人自身を知る教訓的な言葉を紹介したい。それはギリシャ神話のクローノス(時の神)の話である。クローノスは首の長い怪物で、自分の子を追いかけては食べてしまう。ゼウスだけがその首に跳び乗って食い殺されるのを免れた。日本人は神代の昔からクローノスに追いかけられてきている。生きるために米を食べ、米を食べるために米を作り、米を作るために、クローノス(暦)に追いかけられてきた。これは純農耕民族の宿命だと。一方、イスラエルおよびアラブ諸国の遊牧民はクローノスの首に跳び乗っているのが常態である。秒刻みで進む日本社会、クローノスは私たち日本人をどこに追いつめようとしているのだろうか。

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