LSアドバンス 光散乱ジャーナル, Vol. 2, No. 2, p.33 (2004)大塚電子
黒い白夜
日本時間の2003年11月24日朝8時過ぎ(南極では23日から24日にかけての深夜)、南極にて人類史上最初の皆既日食観測が行われた。この模様はNHKを通して実況中継された。午前7時17分、太陽は月によって左側から欠け始め、8時7分に皆既となった。その状態が続くこと約1分半。私たちは振替え休日の朝のひとときをこの壮大な天体ショーに魅せられた。皆既になったとき黒い白夜が現れた。そのとき、月の縁が明るくきらめく「ダイヤモンドリング」が現れ、つづいて太陽の周りに広がる光の筋「コロナ」などが映し出された。高度1万mの飛行機からのカメラには、さらにプロミネンスまではっきりと映っていた。白夜の太陽は漆黒の空を夕焼けのように赤く染め、まばゆいばかりのコロナをしたがえて地平線すれすれを転がるように動いていた。2000年7月16日、京都の祇園祭の宵山で見た皆既月食とは比べものにならないほど幻想的であり畏れおおくもあった。
 皆既日食をみて、どうして月がこんなにも完全に太陽を隠してしまえるのか不思議に思った。月と太陽のそれぞれの視直径がほとんど同じであり、かつ真球である必要がある。地球のように赤道方向に膨らんだ楕円体だったならかくも見事な皆既にはならないであろう。美しい躍動的なコロナを見てもう一つ思った。明るい太陽を覆い隠すことでコロナの形や活動が手に取るようにわかる。強いダイレクトビームを覆って初めて散乱が観測される散乱実験に似たところがある。コロナはいつも存在しているのに明るい太陽によってその存在は光のベールに包まれている。散乱現象も通常は観測出来ない小さな物体や粒子に光を当てて、そこから散乱されてくる二次波の強度を測ったり光子計測をすることで、構造や運動の情報を得ている。特に小角散乱においては皆既日食のように完全に入射ビームを覆ってしまう必要がある。通常、このビーム合わせは光学調整といってかなりの熟練が要る作業である。今回の天体ショーはそれをいとも簡単にやってのけてしまった。自然の摂理に驚かされるばかりである。
 さて、光散乱の理論の始まりを19世紀末のRayleighの研究に求めるとすると、この100年の間に散乱に対する人類の知恵はめざましく進歩した。干渉性が高く輝度も高いレーザー光源を利用し、計測技術の発展とも相まって散乱法はもはや難しい測定手段の域から、日常的なキャラクタリゼーションの一つになりつつある。私は高分子ゲルに光や中性子線を当てて、そのダイナミクスや構造を観る研究を15年ほどしてきた。そこには散乱に適した大きさの構造、ダイナミクスがあった。そして、光散乱の感度の高さ、情報量の豊かさに驚き、それを利用した物性研究に興じてきた。
 「散乱」というフーリエ変換を介した「可視化」は、今日においても一般にはなじみの薄い領域であり、ブラックボックスのように結果だけが一人歩きした利用もまだまだ散見されるが、日食の時のコロナのような鮮明な像を求めて、散乱法を用いた物性研究や材料開発研究がますます発展していくであろう。東京で皆既日食が見られるのは340年に一度だそうである。そのころ、散乱を取り巻く技術はどのように進歩しているのか想像するのが楽しみである。

東京大学物性研究所 教授 柴山充弘(Mitsuhiro SHIBAYAMA)