海外高分子研究、41, 205 (1995).
船上国際会議体験記 

高分子系における極微構造と自己集合体に関する国際会議
家族の心配を残し、政治不安に揺れるロシアで開催された国際会議に単身で参加した。Nano-Structures and Self-Assembiles in Polymer Systemsと題する国際会議(議長V.A. Kabanov)はロシア科学アカデミーの主催によるもので、1995年5月18日から26日のほぼ1週間の日程で開かれた。それは、セントペテルブルク(旧レニングラード)を起点に河川、湖、運河を遡上してモスクワに至る、ロシアならではの雄大な舞台演出のもとで開催された船上会議であった。参加者の安全と会議の効率、アトラクションをすべて考慮した心憎いアイデアと言わざるをえない。

会議の内容に触れる前に、この船の旅について少し述べてみたい。ロシアでは水上輸送網が非常に発達している。それは、広大な国土の交通手段として水運がもっとも適しているからである。特に、雪に閉ざされる冬に陸路で旅をすることに比べて、凍った水路をそりで移動することが如何に容易であるかを想像してみればわかる。中世にはすでに水路と陸路を併用した”ノルマンからギリシャまでの2000kmの貿易ルート”が完成し、東部スラブ圏の発展に大いに寄与していた。今では河川等を繋ぐ多くの運河の開通により、北のセントペテルブルクから大陸を縦断して、黒海、イスタンブールを経てマリンブルーの地中海へと船を乗り出すことができる。

セントペテルブルクでは18日よりGleb Krghighanovskyという名前の5階建ての客室を擁する船が宿舎として参加者に開放されていた。出航前の18日と19日にはエルミタージュなど古都セントペテルブルクの観光を楽しんだ。19日夜8時、オープニングの晩餐中に船は港を後にして、ゆるやかにLadoga湖に向かった。20日にはLadoga湖に浮かぶVallam島に上陸し、対フィンランドの国境攻防の歴史探訪を楽しみ、21日にはOnega湖のKizhi島で夕焼けに映える木造修道院を見学した。こうしたアトラクションを交えながら会議は進められた。船上での一日の時間割は、8時朝食、9時から午後1時30分までが午前のセッション、午後2時昼食、3時から午後8時まで午後のセッション、8時夕食、が基本パターンであったが、船の旅行スケジュールに合わせて遠足(見物)が組まれていた。ロシアでもセントペテルブルクのような高緯度の地方では、日の出が早く、日没は遅い。6月には白夜になるそうであるが、5月でも夜10時を過ぎても明かりなしで本が読めた。#話には聞いていたものの、初めての経験で時間感覚が麻痺しているようであった。長い昼間はうらやましく思えたが、きっと冬の長い国の人々が夏を2倍楽しめるように神様が気を利かせてくれているのだと自分で納得することにした。

会議は7件の基調講演を含む73件の講演、および74件のポスターからなる、かなり盛りだくさんの会議であった。参加者も、ロシアを筆頭に米国、ドイツ、イギリス、フランス、イタリア、チェコ、ギリシャなど14カ国から総勢185名に及んだ。階層構造、分子認識、マクロ・ミクロ相分離、相転移などナノメートルオーダーの構造を持つ高分子系の理論・実験的研究が相次いで報告された。研究対象別にはブロック・グラフト共重合体、高分子電解質、サルファクタント、イオノマー、ゲル、液晶、DNAなどの構造、相分離、結晶化など、多岐にわたっていた。ナノオーダー構造、即ち、高分子の分子の大きさ程度、の世界で繰り広げられる興味深い物理現象・化学反応が数多く紹介され、ナノオーダー構造制御の重要性を生体系とのアナロジーを踏まえて活発な議論が交わされた。日本からは、安部明廣教授(東京学芸大学)、梶慶輔教授(京都大学)、野瀬卓平教授(東京工業大学)、野田一郎教授(名古屋大学)、吉川研一教授(名古屋大学)の研究グループ、それに筆者(京都工芸繊維大学)であった。

船上会議とはアトラクションが多く、物見遊山的な気分を味わえると思っていたが、実際のところは、客船という孤立空間に束縛されたなかで開催されているため、さぼるなどということは殆ど考えられない会議であった。これは長所でもある。食事を船中のレストランで一緒にとるため、最初の数日で殆ど全員が顔見知りになってしまう。従って、早朝や夕食後にデッキにでてみたり、バーに行くと、すぐに会話がはじまる。世間話やお国自慢からメモや別刷りを手にした激論まで、こんな光景が毎日見られた。”これはまさにゴードン研究会議のロシア版だ。”と思ってKabanov 教授や副議長のKhokhlov教授(モスクワ州立大学)に感想を述べたところ、それを意図した企画であると言うことであった。

2つの湖めぐりが終わると、船は幾つかの水門で水位調節を繰り返しながら、バルチック海ーボルガ川水系を上りBelozersk(23日)、Uglich(24日)を経て進んだ。24日にはカンファレンスディナーがあり、ピアノ演奏を聞きながら、ロシア料理にしたづづみを打った。ワインやウオッカで気分が良くなると、夜11時からはデッキにてのダンスパーティーが開催された。ロシアの人々はダンスが好きでいつまでも踊り続けるようである。まだ若いつもりの私は午前1時頃に部屋に戻ったが、翌日人にたずねると多くの人は朝4時まで踊っていたそうである。

予定通り最終講演者の講演が終わるとKabanov 教授による閉会宣言があった。会議は研究面および人的交流の両面で多大な成果を挙げたとの弁であったが、全く同感である。時を同じくして、船は25日夕刻モスクワ近郊の港についた。多くの参加者はもう1夜船中泊して、26日にモスクワ見物、モスクワ大学訪問の日程が待っていたが、私は後ろ髪を引かれる思いで、次の訪問地イスラエルへと船を後にした。驚くことに、私が空港でチェックインするまで会議のメンバーの一人が私に同行し見送ってくれた。この送迎サービスは参加者の殆どに適用された。保安上の理由があるにしても、この徹底したサービスには脱帽した。ロシアおよびロシアの人々に対する認識を新たにし、周到な準備と行き届いた会議の運営に大きな感銘を受けた会議であった。

楽しくまた貴重で有意義な出張は日本学術振興会研究者派遣事業に負うところが大きい。ここに紙面を借りて感謝する。

(本文2610字)

京都工芸繊維大学繊維学部 柴山充弘